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自宅出産:ある日を境に、家族が一人増えるお産

2013/03/18

34歳 経産婦さん

自宅出産という経験ができたのは、いくつかの偶然と幸運な条件が重なったことからでした。

第二子を妊娠したとき、出産は長女の時と同様に里帰りをして、助産院で出産をしようと思っていました。
ところが、妊娠21週目、通っていた逗子の病院で子宮頚管の短さを指摘され、そこから毎日ウテメリンの服用、出来るだけ横になって動かないようにという安静生活。
ついに27週の時には、「無理をして里帰りするのもどうかと思う」と、希望していた助産院からも自宅近辺でも出産を進められることとなり、一体どこで出産をしたらいいのか、、、と途方に暮れました。

病院での出産には漠然とした不安があり、蛍光灯の明るい分娩台の上で、色々な機器で固定された状態で出産するのではなく、長女の時のように薄暗い落ち着いた場所で、自分の楽なスタイルで穏やかに赤ちゃんを迎えたい、という気持ちが強くありました。
どこで出産しよう、そのことで悩んでいた矢先、偶然友達になった方がなんと二人とも自宅出産だったというのです。

『自宅出産』

なんだか考えてもみなかった選択肢で、万が一の時は大丈夫なのだろうかと一抹の不安もありましたが、里帰りをしなくなった今、希望していた「落ち着いた場所」が助産院の和室ではなく、自宅の和室になってもあまり大差がないのでは!?
と急に気持ちが明るくなったのを覚えています。

すぐにwebで逗子、横須賀周辺の助産院を検索し、そこで出会えたのがオハナハウスと院長です。

電話をして「一度、会いにきてください」という言葉にすがるようにオハナハウスを訪れ、助産院の見学と自宅出産についてのリスクと条件などの説明を伺いました。
37週まで赤ちゃんがお腹にいてくれて、逆子でなくて、など、いくつかの条件がそろえば、自宅出産は現実的な選択肢であることも分かりました。
「自宅出産は、ある日を境にひょんと赤ちゃんが増えて、そのままいつもの生活がスタートするようなかんじ。」
という院長の言葉に、「もしできるのならば、やってみたい」と思えました。

病院をオハナハウスと横須賀マタニティクリニックに変えてからは、心配していた子宮頚管の長さも回復し、結局陣痛が来たのは、予定日から一週間後の41週0日。
夜中にお腹の痛みを感じて、あれよあれよというまに4~5分間隔に。
すぐに院長に電話をし、寝ている主人を起こし、部屋を暖め、、、と出産の準備がはじまりました。

お産自体は、助産院の時とあまり変わったところはなく、ただただ腰と背中の痛み、陣痛の痛みをやり過ごすのに四つん這いになって腰を小刻みに震わせたり、痛いところを院長に押してもらったり。
痛みのない時は「今、山登りだと何合目ですかねー」などと聞いては自分を励ましたり、という感じで本当にリラックスしながらのお産でした。

朝方4時頃、奥の部屋で寝ていた長女がなぜか起きだし、家族全員がそろって畳の部屋に。
神妙な顔つきで私をみつめ、恐る恐る手を握ってくれたりする2才の長女の存在が、私にものすごいパワーをくれました。
娘が起きてから、およそ1時間後の朝5時5分、頭がまん丸の長男が、元気にこっちの世界にやってきました。

小さくふにふにしたあかちゃんを胸に抱き、本当にたっぷり2時間もカンガルーケアをして、そのあともずーーーと一緒。
片時も離れず、あかちゃんが落ち着くまでしっかり一緒にいられるのは本当に大事なことだと思います。

「せっかくのお産、できるだけ希望のかたちでするのがいいわよ。」との院長からのアドバイスをきいて、本当に良かったと思います。
みなさんも是非、後悔のないお産を!

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